しいのみ学園の名は?

 私(園長:f地 三郎)はドイツ語(Fukuoka Es Heilungen Ausbildung Schule)の訳
「福岡治教育学園」という名前をしいのみ学園の前に大きい看板を立てようとしたところ、家内(露子夫人)が、「字の読めない子ども達に、『何処の学校に行ってるの?』と聞かれて答えられない名前では駄目でしょう」という。「それならどんな名前がいいのか?」と聞いたら、何処からか買ってきたのか椎の実を食べながら「『しいのみ学園』」がいいのじゃない」と言った。家内(露子夫人)のつけた校名にしたと言うことになると、夫の権威は丸つぶれと思ったが、その通りにした。   これは良かった。  
 翌年新東宝で香川京子・宇野重吉主演『しいのみ学園』が映画化され、全国津々浦々まで上映され、主題歌「しいのみの歌」は全国的に流布し、障害児教育の起爆剤になった。



しいのみ学園の名は?
  私(園長:f地三郎)が大阪で小学校の教員をしている昭和9年に結婚し、昭和11年3月11日に長男(有道)が生まれた。赤ん坊大会に出るほどの健康優良児であったが、初誕生日を迎える数日前に原因不明の高熱に襲われ、脳性小児マヒになった。2年間就学猶予をして小学校に入学したが、ひどいいじめにあい、転校したりし、中学2年の時退学を止むなきに至った。昭和22年に生まれた次男(照彦)も同じように脳性マヒに侵され就学猶予をし学校に行けない子が抱き合って泣いている、

親はどうしたらよいのであろうか。

苦悩の末先祖代々の家屋敷を全部売って、筑紫平野の真中に「しいのみ学園」を 創った。
〜〜 そして50年の歳月が流れた 〜〜
 蓮華畑の真中に建っていた「しいのみ学園」は今やビルの谷間になってしまっているが、障害児の学ぶ学園はそのまま続いている。